死者7人、負傷者3人を出した日本史上最悪の熊害とされる「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」の事件復元地に行ってきました。
「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」で有名なこの事件。
現地のレポートの前に簡単に事件概要を説明するね
三毛別羆事件概要
1915年12月、事件は北海道苫前村(現在の苫前町三毛別)で発生しました。
六線沢集落で、民家の軒先に干されていたトウモロコシがヒグマの食害に遭ったのです。
幸いこの時はヒグマが逃げていったのですが「人間の住処には餌がある」と学習してしまいました。
このヒグマ、体長2.7m体重340kgの超巨体。そのため冬眠の穴が見つけられない「穴持たず」だったと言われています。
冬眠してないから普通に体力は使うのに、冬の北海道で餌がない。
常に腹ペコ状態のヒグマだったということです
12月9日、この日ヒグマは民家に侵入して村人を襲います。
「氷橋」を作る作業から男たちが帰ってくると、囲炉裏端に蓮見幹雄(当時6歳)が座っていました。
声をかけるも何も言わない幹雄を不審に思いよく見ると、頭の横に穴があき、すでに事切れています。
家の中には幹雄と一緒にいたはずの阿部マユ(当時34歳)の姿が見つかりません。
窓から侵入したヒグマに連れ去られたのです。
12月10日、男たちは銃や鎌などを手に山に入りました。目的はもちろん、ヒグマの駆除と阿部マユの遺体を回収することです。
午前9時ごろ、山中で男たちはヒグマと遭遇しましたが銃の整備不良などで発報できたのは1人だけ。
ですが、発砲音を聞いてヒグマは逃げて行きました。
ヒグマを追い払った後に地面が不自然に盛り上がっている場所があり、そこを掘ってみるとマユの頭と足が見つかりました。
遺体を回収し幹雄の遺体とともに通夜が営まれることになりましたが、その通夜の最中またヒグマの襲撃に遭います。
壁を破って侵入してきたヒグマは棺桶をひっくり返し遺体を食べようとしましたが、参列者の一人が発砲しヒグマは逃げていきました。
「獲物があるとヒグマが来る」と参列者は少なかったようです。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件でも、荷物を取り返して襲われてましたね。
通夜を荒らしたヒグマは隣家を襲いました。「クマは火を怖がる」と囲炉裏に火を燃やしていたが、効果はなく、中にいた人たちが次々と襲われました。
妊娠中だった斉藤タケ(当時34歳)は「腹破らんでくれ。喉食って殺して」と叫びながら、胎児とともに亡くなり5人が死亡3人が重症の大惨事となりました。
その後、ヒグマは討伐隊の山本兵吉によって射殺。
解剖したところ胃から女性3名の衣服や人肉が見つかり、以前も女性を食べて人間の女の肉の味を覚えていたのではと言われています。
いざ、復元地へ!
のどかな北海道の景色を眺めながら、沢伝いに車を走らせます。
農業が盛んな地域のようで、道路の両端には広ーい畑が続きます。
所々に「ベアーロード」という看板と、親子のクマの絵が。
北海道に住んでいると「子熊がいれば親熊がいる」のは有名なので、ほのぼのしたイラストで近隣の子どもが子熊を恐れないようになるのではと、余計な心配をしてしまいます。
復元地が近づくと舗装された道路ではなく、車2台がすれ違えないような細い砂利道になります。
わりと見にきている人がいるので、正面からくる車に気をつけてください。
到着すると写真のヒグマがお出迎え。
1階建の家の屋根くらいまであります。これが家に入ってきたなんて、いや怖い。
復元地は山奥の山林にあり雰囲気満点です。
私が行った時「ヒグマ注意」の他に「ハチ注意」の看板もあり、さらにアブが異常発生。
車にバチバチとでかい虫がぶつかってくるので、それが怖くて車から降りることができませんでした。
ヒグマが出そうな雰囲気は満点!
冬季と夜間の見学はできないのでご注意ください。
携帯電話も圏外でトイレもありません。ガチでヒグマでそうなので、音の出るものをお持ちください。
ネットで見ると「苫前町郷土資料館」にこの事件の資料があるようですが、後で知ったので見に行くことができなかった!
またドライブがてら苫前にいかなくては。
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